2020.11.29三ツ川インタビュー

まちに溶け込む不動産屋を目指してー知識ゼロからまちづくりに取り組む伊藤貴之の挑戦

「私は会社が好き。仕事が好き。そして何より、この地域のことが好きなんです。」

 

 

そう語るのは明福興産株式会社社長の伊藤貴之さん。まちのお父さんとして、生活や商売を営む人との繋がりを大切に、名古屋市西区上小田井で地域に特化した不動産業を営んでいます。

 

 

さらに、名古屋市西区上小田井エリア*1 を楽しい街にするべく、「三ツ川タウンプロジェクト」(以後、三ツ川タウンPJ)というまちづくり活動も手がけています。

 

 

タカさんは今でこそ三ツ川タウンPJを支える大黒柱ですが、最初はまちづくりを自分が中心となってやろうとは思わなかったと言います。

 

 

「まちづくりの知識もないし、最初はどうやったらいいか分かりませんでした」

 

 

当時のことを懐かしげな表情でそう語るタカさん。では、彼はどうして自分の暮らすまちのために行動しようと思えたのでしょうか。今後も三ツ川を支えるタカさんにまちへの想いを語ってもらいました。

 

 

プロフィール-伊藤貴之 Ito Takayuki  

名古屋市西区上小田井生まれの52歳。大学入学後、京都にある創業間もない中小企業で運送業や引越し事業の立ち上げを行った。その後、明福興産の初代社長であった祖母の死をきっかけに、名古屋へ戻り家業を継ぐ。2001年、社長に就任した翌年には、妻(菊代さん)と結婚し、長女を授かる。2014年にはアトリエ379をオープン。さらに、2016年には三ツ川タウンプロジェクトを発足させる。三ツ川のメンバーからは「タカさん」という愛称で親しまれ、”まちのおじさん”として三ツ川タウンPJメンバーの活躍を、いつも温かな目で見守ってくれている。

 

 

 

戸惑いつつも、前を見て歩む日々社長就任と妻との出会い―

 

 

-タカさんはどのような経緯で会社を継ぐことになったのでしょうか?

 

伊藤:明福興産は、祖母が家業の繊維工場に加え、不動産業を始めたことをルーツとしています。公私に渡り存在感の大きい祖母だったのですが、彼女が亡くなったのを機に、祖父から私に声がかかり、社長に就任しました。

 

 

 

-社長に就任したころの明福興産はどのような会社だったのでしょうか?

 

伊藤:祖父母が経営していたころは、不動産屋といっても宅建免許も持っておらず、数棟のアパートやマンションを持っている単なる大家さんでした。社長に就任したころも、物件のメンテナンスは行き届いておらず、入居者とのコミュニケーションも圧倒的に不足していた状況でした。京都で四六時中、仕事の事ばかり考えていた自分にとって、改善点が山のようにある状態に映りました。

 

 

 

-今の明福興産とは、だいぶイメージが違いますね。きっかけは何だったのでしょうか?

 

伊藤:妻(菊代さん)と結婚し、彼女が会社に入ったことが大きなきっかけでした。入居者さんとすぐ打ち解けるし、「菊ちゃん、これ食べて。」と夕食のおかずをおすそ分けされることもしばしば。いつからか明福興産の大家さんといえば妻の顔が浮かぶようになりましたね。

 

彼女のおかげで、明福興産のホスピタリティのレベルが、各段に上がったんです。僕は粗暴なところがあったから。(笑)他にも宅建免許を取得して売買仲介業も手がけるようになったり、建物の落書きを消しに行ったり。できることからはじめていきました。

 

かつての三ツ川食堂で家具の塗装をD.I.Yする様子(2018年)

 

 

 

 

モヤモヤから新たな挑戦―地域に根差した不動産屋へ

 

 

-2014年に「暮らすこと、つながることを大切にした賃貸住宅」をコンセプトにアトリエ379をオープンしたと聞きました。アトリエ379はどのような想いから生まれたのでしょうか。

 

伊藤:不動産の仕事をしていく中で感じた、モヤモヤした気持ちがきっかけでした。まちの子どもたちにどんな風景を残していきたいかと、妻と話し合う中で、利己的・短絡的な考え方で街の風景が壊されてしまうことに、お互いに危機感を感じていました。

 

退去者が出たらすぐにリフォームをかけて、他の不動産屋さんに仲介をしてもらって入居者を増やして、なるべく空室期間が少ないようにと知恵を絞って…。これをただ繰り返すだけで、本当に入居者さんが豊かさを体感できるのか? とモヤモヤを感じていました。

 

そんな中、まずは会社の物件の周りやご近所という小さい面を変えなきゃいけないという想いからアトリエ379を始めました。

 

アトリエ379では毎年10月に住人さんたちとの交流イベントとしてハロウィンパーティーを開催(2019年)

 

 

 

-まちとの繋がりを意識するようになったのは、そんなモヤモヤした気持ちがきっかけだったのですね。

 

伊藤:そうですね。まちとの繋がりを意識するようになったのは、自治会活動への参加も大きいと思います。町内会長を経験していた時に、一緒に活動をしていた男性が「職能ではなくて同じまちに住んでいるという関係性の人間と飲みに行こうぜという話ができるって僕の人生には無かった」と言っていて。確かにこれも豊かさの一面だなと思いました。

 

1年間の町内会長の活動を終えた時には、また自治会活動をやる機会があったらこのメンバーでやりたいね、という話になるほどで、すっかり仲間になっていました。

 

 

 

-三ツ川タウンPJもまさにまちの人との繋がりで成り立つプロジェクトですよね。2016年にこの活動を始めるに至った想いを教えてください。

 

伊藤:当時言っていたのは、三ツ川ストリート*2を変えたいということ。上小田井の駅から蛇池公園までの導線がちょっと退屈で遠く感じてしまいます。

 

ですが、蛇池あたりはよく知られていないだけで本当に良い場所だと思っています。桜の季節は綺麗ですし。ここの導線の力が弱くてもったいないなと。幸いアトリエ379もあるので、実業の不動産業と重ねられればという思いでまちづくりを始めました。

 

 

 

-タカさんの三ツ川への想いを聞けて良かったです。新しいことに挑戦することに迷いはなかったのですか。

 

伊藤:ありましたね。三ツ川を始めようと決断できたのはナオトさん(R-pro代表取締役 岡本ナオト)との出会いのおかげです。当時の会話を今でも覚えています。

 

(最初は)「まちづくりなんて、自分たちにできるかな。知識はないし、どうやったらいいか分からないし」と言ったら、ナオトさんが「タカさんと菊代さんだったらできると思いますよ」と背中を押してくれたんです。妻と顔を見合わせて「できるかな?やっちゃう?」となりましたね。「じゃあナオトさんと一緒に」という流れで三ツ川を始めました。

 

三ツ川タウンPJメンバーとのミーティングの様子(2018年)

 

 

 

-タカさんがこれから新たに挑戦したいことはありますか。

 

伊藤:明福興産の路面店を出す計画があります。詳しくは触れられませんが、自分たちが本当に良いと思えるものやまちのみなさんに本当に届けたいと想っているものを、ギュッと詰め込んだ空間を展開したいと思っています。本当は色々話したいですが、まだ内緒。(笑)もちろん三ツ川タウンPJでも使ってもらえたらと考えています。

 

地域のコミュニティづくりに寄与できるように、住まいの提案に力を入れていきます。そして、まちの風景に溶け込む不動産屋、まちの一部になることを目指していきます。

 

空き家活用とコミュニティ経済への挑戦。三ツ川食堂でのマルシェの様子(2018年)

 

 

 

編集後記

当日の取材の様子(オンラインでの取材)

 

 

終始、笑顔で話してくれたタカさん。目をキラキラさせて三ツ川の将来を語る姿がとても印象的でした。

これからもタカさんと活動できるのが楽しみでなりません。

 

 

*1 南北は庄内川と新川、東西は庄内緑地から蛇池公園で挟まれた、広義の”小田井エリア”

*2 上小田井のデニーズから、蛇池公園に至る一本道のこと。

 

 

書いた人:北川壱暉(キタガワカズキ)

静岡県浜松市出身の22歳。現在は愛知学院大学文学部歴史学科にて東アジア史を学んでいる。学芸員資格の取得中で、今年は北名古屋市の昭和日常博物館で学芸員実習予定。2018年1月から三ツ川タウンPJに参画。主にイベントレポートの執筆を担当。趣味はプロ野球観戦で大の中日ドラゴンズファン。